笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

西明石


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「普通電車播州赤穂行きは、六番線からの発車です」と、アナウンスがあった。
 バンシュウアコウ。
 ものすごい響きだ。
 バンシュウアコウ。
 モモチサンダユウ、というのに似ている。
 

 

 用事があって、西明石にきた。用事? うーん、用事と言っていいかどうか…連絡のとれない昔の友だちがいて、久しぶりに会いたくなったから、学校の名簿で住所を調べて訪ねてみることにしたのだった。
 20年も前の友だちに会うのに、いきなり実家に訪ねていくのもどうかなと、迷いはした。しかし、今度のコロナ騒ぎで僕は、会いたいと思う人には躊躇わずに会いに行くべきだ、と考えるようになった。そういうのって、不要でもなければ不急でもない。今会いたい人には今会うべきだ。でないと、「またいつか…」なんて思っているうちに、会えなくなってしまうかもしれない。世界は間違いなく、人と人との接触を減らす方向で動いている。だからこそ、本当に会えなくなる前に、会いたい人とは会うべきだ。躊躇っている場合ではない。
 もちろん、20年も前の記録だ。今もそこに住んでいるとっは限らない。けど、とにかく僕は行ってみることにした。そう決めたのだ。決めたら後は行動するだけだ。
 まずはGoogleのマップに住所を入力する。町名まではヒットした。しかし、そこから先の番地を入力すると、Googleは僕に何も教えてくれなかった。地方の、再開発の進行によって番地の混乱している場所では、こういうことがよくある。Googleが教えてくれることは、今のことだけだ。地図が上書きされると、過去のことはもう分からない。
 しかし、それで止まっていたのでは、どうにもならないから、僕は出かけた。行けば何とかなるってことも多い。これは僕の経験則だ。Googleに聞いて分からないことは、直接人に訊く。昔のことは、昔の方法で調べるのがいい。
 三宮からJRで西へ。西明石普通列車ターミナル駅になっている。緊急事態宣言が開けてすぐの、下り方面の列車は空いていた。サラリーマンの姿も少ない上に、学生がいない。とても通勤時間帯の電車とは思えなかった。車で行くことも考えないでもなかったが、ストリートビューで見てコインパーキングが少なそうだと思ったので、電車にした。どうせ目的地を探すには歩き回ならければはならい。車は邪魔だと判断した。

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 西明石の駅を、どんな言葉で表現すればいいのか、僕はとても悩む。
 明石の、下り側に次の駅。播州エリアへの入り口。新幹線の駅が併設されている。そのくせ、商業施設らしい構造物はない。正直に言って、大久保の方がまだ賑やかだ。西明石は、実に慎ましい駅である。
 とりあえず、住所の町名まではGoogleでアクセスできる。僕は端末画面を眺めながら、そちらの方へぶらぶらと歩いて行った。駅から離れて国道を渡ると、すぐに住宅街になる。目的地は浄水場のあたりとまでは目星をつけていた。
 いつもなら僕は、最初は交番で道を尋ねる。一応、公共の機関だし、無碍な対応をされることはあまりない。ただし、巡査さんという職業は、残念ながら地図のプロではなくて、尋ねても結局分からないことが多いのだけど。でも、この町にはそもそも交番がなかった。次に頼りになるのがコンビニとガソリンスタンド、あと古い酒屋とか文房具屋とかなのだが…これもない。
 最後に頼りになるのは、地元住民である。僕は、なるべく年配の人を選んで道を尋ねることにしている。彼らは道に詳しいだけでなく、土地の歴史にも造詣が深く、ちょっと古い情報でも熟知していて、しかも人情に篤い。
 お宅のお庭で井戸端会議中の奥様たちがいらしたので、垣根越しに声をかけた。案の定、喜んで僕の力になってくれた。
「お友だちを探してるの? お兄さん、私の娘と同じぐらいに見えるから、訊いたらお友だちのことも知ってるかもしれないけど、今仕事で出かけてるわ。ああでも、ちょっと待って、今地図を持ってくる。任せといて、私、ずっとここに住んでるのよ」
 奥様は、町内の地番の詳細地図を持ってきてくれた。残念ながら、僕の行きたいところの地番は、その地図にさえ乗っていなかった。しかし、4ケタある地番の、上二桁が同じ地番の下二桁が、どこから始まってどうインクリメントしていくかという流れは、その地図で分かった。それが分かれば、後はじっくり表札や電信柱の住所表示で、大抵特定できる。奥様は、たっぷり10分は僕の人探しに付き合って地図とにらめっこしてくれた。やっぱり、こういう地元の人の情報は頼りになる。僕は奥様に懇ろにお礼を言って別れた。
 結局、僕はその古い友人が住んでいたであろう土地を特定することができたが、ドアホンを押して「○○さんのお宅はこちらでしょうか」という問いには「違いますよ」という返事が返ってきた。多分、もう引っ越ししてしまったのだろう。

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 人と会う…会うって一体、何だろうと僕は時々考える。
 僕は、その古い友人の西明石の実家(だったはずの場所)を訪ねたのは、初めてだった。結局、彼とは会えなかったし、彼を探し出す情報の糸も切れてしまったけれど、僕は西明石の町を「へえ、あいつはこういう町で育ったのか」なんて考えながら歩いた。人や街並みは少しずつ変わるものだが、それでも一旦出来上がった町が突然大きく構造を変えるなんてことはできないものだ。公園や散策道を見ながら、あいつも幼い頃はここで遊んだだろうか、この道を歩いただろうかと想像をめぐらせた。多分、僕の想像の通りに、公園で過ごしたり道を歩いたりしただろう。今の彼には出会えなかったが、僕の知らないもっと以前の彼の面影を、電柱の影や木立の向こうに観た気がした。
 僕は、西明石の町で、多分彼に会ったと思う。少なくとも僕はそう信じて疑わない。

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