神戸港には時々、実習船の海王丸や日本丸が停泊する。きちんと数えたことはないけれど、年に二、三回ぐらいだろうか。大型スーパーに車で買い物に行った帰り、バイパスから港を見下ろすと、このコロナ騒ぎの中、マストを空に向かって突き立てた帆船の影が見えた。
帆船は美しい。
機関のみに頼って航行する現代の船にも良さはあるけれど、帆船の美しさというものはちょっと質が違う。古き良き時代なんて言ってしまうと陳腐だけど、つまりそういうことだ。
人混みができるような場所でもないので、ちょっとイチトツ(第一突堤)に立ち寄ってみる。突堤の岸壁に降りると、船尾が見え、今回神戸に寄港しているのが日本丸の方だと知れた。
純白に塗装された船体、まっすぐに伸びたマスト、張り巡らされたロープ。僕が特に感心してしまうのは、張り巡らされたロープだ。僕にはその一本一本にどんな機能や意味があるのか全然理解できないのだけど、おそらくあの縦横無尽に張り巡らされたロープにはすべて何らかの役割があり、無駄なロープは一本もないに違いない。それは、よくトレーニングされた大オーケストラのようである。これぞ機能美。本当にきれいだ。
帆船を見ると、僕は必ず大学オケの後輩を思い出す。
彼女を僕たちはターニャと呼んでいた。ターニャはロシア人というわけじゃなくて、純然たる日本人なのだけど、名字と名前をつづめて読むとターニャに近い発音になるので、そう呼んでいたのだ。ターニャは吹奏楽の強豪校と言われる高校から進学してきて、大学ではオーケストラに入った。
一般に吹奏楽は、「体育会系文化部」と呼ばれる。僕が高校時代に所属していた文芸部もそうだが文化部というものは、上下関係に甘いというか、よく言えば仲良し、悪く言えばグズグズなのが特色ということになっている。しかし、吹奏楽はちょっと特殊で、特に吹連のコンクールで常勝校なんて言われている学校の部は、上下関係に厳しく、練習にストイックで、音楽に対しても部の活動に関してもホットなタイプの人間が集まる。
ターニャは典型的な体育会系文化部タイプだった。それに反して僕は、徹底的に普通の文化部タイプだった。僕はターニャより数年早く生まれたというだけで、ターニャの先輩という立場だったからターニャの不興をかったことはないけど、もし後輩だったらと思うと、ちょっと背中に寒気を覚える。僕は、どっちかというと生意気がわざわいして先輩に嫌われる性格だったし、ターニャの後輩への指導は苛烈だった。もし僕とターニャの立場が逆だったら、僕たちは全面戦争だったかもしれない。
仮定の話はさておき、実際の僕とターニャの関係がどうだったかと言えば、実はけっこう仲が良かった。
僕もターニャも、とにかく音楽は大好きだった。二人とも、楽器さえ持っていれば機嫌はいいので、よく一緒に、夜遅くまで練習場に残って一緒に楽器を吹いていた。僕にとってターニャは遊び甲斐のある後輩だったし、ターニャにとって僕は、とことん練習につきあってくれるいい先輩だったのかもしれない。
音楽やら何やらのの好みも似ていた。
僕は大学オケを卒業して、楽器をヘインズに代えた。いつか手に入れたいと思っていた、憧れのヘインズだった。僕はハンドメイドのヘインズを選んだのだけど、その後しばらくして人づてに「ターニャもヘインズ買ったらしいよ。レギュラーだけど」と聞いた。
それだけではない。卒業後のある時、用事があって大学にバイクで寄ったらターニャが「私もバイク欲しいんです」なんて言い出した。ターニャはまだ免許を持っていなかったので僕が「じゃあちょっとケツに乗ってみる?」と誘い、ターニャを家までバイクで送った。その体験が影響したのかしなかったのか、それは分からないけど、しばらくしてからターニャはいきなり大型二輪の免許をとり、ナナハンのゼファーを中古で買った。
ヘインズもゼファーも、残念ながら最新鋭のハイスペックなツールというわけではない。けれども・・・それらの道具立ちは、古き良き時代の美しさをもっている。ゼファーは僕も好きなバイクで、とくにナナハンのゼファーは、タンクの形、エンジンと車体のバランス、マフラーの先端の処理が美しい。言うなればそれは、「帆船の美」なのだ。少しスローでナイーヴな、古くさいものの美しさ。
そのターニャが学生だった頃に一度、僕に話してくれたことがある。
「実は私、毎年、帆船に帆を張ってるんです」
僕は首をかしげた。確かに、どちらかと言えば色黒でがっちりと力強い肩をしたターニャだから、吹奏楽とは別に何かスポーツをしていたと言われても驚かないつもりではいたが、帆船? 帆を張る? 僕は彼女が何の話をし始めたのか、全然理解できなかった。
ターニャは、すこしうつむき加減に、でもその話ができるのをとても嬉しそうに続けた。
「総帆っていうんです。子どもの頃に父に、帆船に乗るキャンプに参加させられて、下田なんかまで船で行ったりするんですけど、その時に帆を張った船がすごくきれいで、なんだか辞められなくなっちゃって、今でも年に一度、みなとみらいの日本丸に帆を張ってるんです」
ああそうだ、思い出した。あれだけ練習熱心なターニャが、年に一度、「すみませんすみません、どうしても休ませてください」と申し訳なさそうに仲間に断って休む時期があって、「全然構わないんだけど、何で休むの?」と何とはなしに聞いたら、ターニャがその話をしたのだ。
僕は帆を張った帆船を、実際にこの目で見たことはまだない。
日本丸も海王丸も、港内では多分、帆を張らない。少なくとも僕は見たことがない。きっときれいなんだろうな。あのターニャが、あんなに帆船の美しさについて嬉しそうに語ったのだ。きっと僕も好きになるだろう。一度見てみたいと思う。僕も帆を自分で張ってみたくなるだろうか。なるかもしれない。あのマストを自力で上る自信はもうないけど。
僕もターニャも、とにかく音楽は大好きだった。二人とも、楽器さえ持っていれば機嫌はいいので、よく一緒に、夜遅くまで練習場に残って一緒に楽器を吹いていた。僕にとってターニャは遊び甲斐のある後輩だったし、ターニャにとって僕は、とことん練習につきあってくれるいい先輩だったのかもしれない。
音楽やら何やらのの好みも似ていた。
僕は大学オケを卒業して、楽器をヘインズに代えた。いつか手に入れたいと思っていた、憧れのヘインズだった。僕はハンドメイドのヘインズを選んだのだけど、その後しばらくして人づてに「ターニャもヘインズ買ったらしいよ。レギュラーだけど」と聞いた。
それだけではない。卒業後のある時、用事があって大学にバイクで寄ったらターニャが「私もバイク欲しいんです」なんて言い出した。ターニャはまだ免許を持っていなかったので僕が「じゃあちょっとケツに乗ってみる?」と誘い、ターニャを家までバイクで送った。その体験が影響したのかしなかったのか、それは分からないけど、しばらくしてからターニャはいきなり大型二輪の免許をとり、ナナハンのゼファーを中古で買った。
ヘインズもゼファーも、残念ながら最新鋭のハイスペックなツールというわけではない。けれども・・・それらの道具立ちは、古き良き時代の美しさをもっている。ゼファーは僕も好きなバイクで、とくにナナハンのゼファーは、タンクの形、エンジンと車体のバランス、マフラーの先端の処理が美しい。言うなればそれは、「帆船の美」なのだ。少しスローでナイーヴな、古くさいものの美しさ。
そのターニャが学生だった頃に一度、僕に話してくれたことがある。
「実は私、毎年、帆船に帆を張ってるんです」
僕は首をかしげた。確かに、どちらかと言えば色黒でがっちりと力強い肩をしたターニャだから、吹奏楽とは別に何かスポーツをしていたと言われても驚かないつもりではいたが、帆船? 帆を張る? 僕は彼女が何の話をし始めたのか、全然理解できなかった。
ターニャは、すこしうつむき加減に、でもその話ができるのをとても嬉しそうに続けた。
「総帆っていうんです。子どもの頃に父に、帆船に乗るキャンプに参加させられて、下田なんかまで船で行ったりするんですけど、その時に帆を張った船がすごくきれいで、なんだか辞められなくなっちゃって、今でも年に一度、みなとみらいの日本丸に帆を張ってるんです」
ああそうだ、思い出した。あれだけ練習熱心なターニャが、年に一度、「すみませんすみません、どうしても休ませてください」と申し訳なさそうに仲間に断って休む時期があって、「全然構わないんだけど、何で休むの?」と何とはなしに聞いたら、ターニャがその話をしたのだ。
僕は帆を張った帆船を、実際にこの目で見たことはまだない。
日本丸も海王丸も、港内では多分、帆を張らない。少なくとも僕は見たことがない。きっときれいなんだろうな。あのターニャが、あんなに帆船の美しさについて嬉しそうに語ったのだ。きっと僕も好きになるだろう。一度見てみたいと思う。僕も帆を自分で張ってみたくなるだろうか。なるかもしれない。あのマストを自力で上る自信はもうないけど。