笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

神戸臨港線 架道橋と子安地蔵


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ああ、Josef Pasternackの指揮する
この冬の銀河軽便鉄道
幾重のあえかな氷をくぐり
 (でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金メタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天腕の下
うららかな雲の台地を急ぐもの
 

 

 かつて、沿岸の工場や倉庫に貨物を運搬するために、灘駅から臨港線が分岐していた。調べてみると、2004年まで運行していたらしい。現在は廃線になり、国道二号線を斜めに横切る架道橋だけが遊歩道として保存・利用されている。かつては貨物が通る度に振動しガタゴトと金切り声をあげていただろうと思われる架道橋は今、じっと黙り込んだまま眠っている。
 その架道橋を除けば、臨港線の遺構はほとんど残されていない。ただし、架道橋の延長線をたどっていくと、多分ここを線路が通っていたんだろうなという痕跡は、なんとなくトレースできる。遊歩道を灘駅方向にずっと歩いて行くと、駅の近くまでほぼ直線の道が残っているし、反対側には、市営住宅の広場をぬけて遊歩道が震災復興記念公園あたりまでずっとそれらしきラインが想像できるのだ。往時を偲びながらその形なき線をたどってみるのも面白い。僕は時々、頭の中でスタンド・バイ・ミーを歌いながら、この想像上の線路を散歩している。新港の倉庫街を抜けてメリケンパークまでゆっくり歩けば、二時間前後のコースだ。
 でも、その話はまた今度にしたい。

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 この架道橋の北側の土手に、子どもの頃、遊びに来たことがある。
 昔、この土手の縁の溝に、ザリガニがたくさんいて、子どもの間ではザリガニがよく連れる場所として有名だった。多分、本当はザリガニ釣りなんかのために来てはいけなかったんだろうけど、子どもたちは平気で来ていたのだ。昭和という時代は、そういう時代だった。
 ある日、地元の新聞に事故の記事が載った。それは、この架道橋の土手に遊びに来ていた小学生の兄弟が線路に立ち入って、列車に轢かれて死んだというニュースだった。そしてその死んでしまった兄弟の弟の方は、僕の同級生だった。
 その子と親しかったわけではない。けれど同級生が事故死するというのは、中々刺激的な出来事だった。もう当時のことをはっきり覚えてなどいないけれど、その記事を見て僕の家族が騒然としていたのは何となく記憶に残っている。当然だが、それから架道橋にザリガニ釣りになんて行かなくなった。
 大人になってからふっとその時のことを思い出して、図書館で新聞のマイクロフィルムを漁ったことがある。調べてどうしようということでもなかったが、なぜだか気になって仕方がなかったのだ。一時間ほど探して、記事は見つかった。もう忘れていた同級生の名前や、その子のお母さんの年齢なんかが乗っていて、お母さんは当時三十四歳だったらしい。若い。令和の時代に生きる今の僕の感覚からすれば、若いお母さんだ。
 僕ももう子どもを持つ身になり、その若さでやっと小学生まで育てた子どもを一度に失った彼女はどう感じただろうかと、当時は「おばちゃん」だったはずの彼女の気持ちに僕の気持ちは寄り添う。とても言葉では言い尽くせない、はらわたをねじ切られるような辛さだったろう。やりきれない。
 子どもの頃の僕は、同級生の死を悲しみはしたけれど、それがどれだけ実感を伴ったものだったかは疑わしい。無慈悲な事故によって無垢の魂がふたつも一度に失われることの意味なんか、子どもに分かるはずもない。今だって、十分には分かっていないだろう。ただなんとなくそら恐ろしく、直視しがたいという、ほとんどプリミティブな恐怖心が僕を身震いさせる。彼らの魂はいまどこにあるだろうか。そして彼らの若かった母親は今、どんな思いで生きているだろうか。事実としての現在でさえ、僕の想像力の重力圏の外にある。そして僕は、それを確かめる勇気をもたない。

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 架道橋の近くに、子安地蔵がある。
 古い街道の通った地域だから、色々な神様や仏様がこのあたりには祀られている。しかし、あんな事故のあった臨港線のすぐ脇に、子安地蔵。僕としてはちょっと考えないわけにいかない。脚を止めて手を合わせる。南無。
 お地蔵様は、鮮やかな緋色のおべべをお召しだ。供物もお花も新しい。誰かが丁寧にお世話している証拠である。誰が、どんな思いでお世話しているのだろう。僕の脳裏に、マイクロフィルムで見た不鮮明な同級生の遺影がうかぶ。まさかとひょっとしてが、同時に僕の息を苦しくさせる。僕はじっとお地蔵様を見た。左腕に小さなお地蔵様が抱かれている。穏やかな表情だ。その安心しきったような顔つきに、僕は落ち着きを取り戻す。
「もし生きていたら」なんて仮定ほど無意味なものはない。固定されてしまった過去は取り返せないし、取り消せないし、取り替えようもない。世界は未来へ向かう一方通行の道だ。その一軸上を三角関数的に行きつ戻りつするのが輪廻する命の在り方と言うこともできるだろう。そんなことを知っても何の慰めにもならない。けれど、このお地蔵様のご尊顔は、僕を慰める。過去は過去、今は今。そして未来は、またただの未来なのだと。

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 お地蔵様に一礼して振り返ると、架道橋が傾いた日をあびてむっつりと黙っていた。