笛吹きもぐらは旅をする

笛吹きの、慢性疲労症候群の療養日記。

「旧和田岬灯台」

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 魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の気味も、また同じ。住まずして、誰かさとらん。
 
方丈記」 鴨長明/武田友宏(編) 角川文庫

 

 Wikipediaによれば、この和田岬灯台は明治十七年に和田岬に設置された二代目の鉄製灯台らしい。現在は廃灯され、ここ須磨海岸に移設されている。真っ赤に塗装された灯塔はよく目立つが、僕は長い間、倉庫か、あるいは火の見櫓か何かだと思っていた。灯台だと知った時は驚いた。何せ、松林の中に半ば埋もれているし、一般に僕たちがよく知っているロウソク型の灯台とは似ても似つかない。もちろん廃灯されているから灯りも点かない。しかしよく見れば確かに、てっぺんについた出っ張りは、回転灯のお化けみたいに見える。よほど興味をもって知ろうとしない限り、この深紅の建造物が役目を終えた灯台だとは気づかないだろう。

 文化財としての価値をもつ遺構が、その場にとどまり続けられないために移設によって保存されるというのは珍しいことではない。和田岬は現在、三菱重工の造船施設として利用されている。詳しくは知らないが、和田岬灯台も多分、そのあたりに立っていたのではなかろうか。和田岬には和田岬砲台がまだ残っており、申請すれば希望者は見学できるようだ。しかし、見学のためにわざわざ申請を行い、指定された日時のスケジュールを空けるというのは、普通の勤め人にとってはそう気安いことでもない。移設によってでも、簡単にアクセスできる形で保存してもらえるのはありがたいことだ。
 

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 灯塔はくまなく赤い塗料で塗られていて、僕ぐらいの世代だと「シャア専用?」と言いたくなる。この塗料の下は鉄のはずだが、僕にはどうして鉄で作ったのか疑問で仕方がない。当たり前だが、鉄は潮風で錆びる。灯台のような、可動部のない、恒久的な設置を前提とした施設を作るなら、少なくとも灯塔部分はレンガやコンクリートで造る方が適切ではなかろうか。いくら塗料によって防錆が施されているとはいえ、少しでも地金が露出すれば、そこから菌におかされた皮膚病のように錆が広がって、内側から朽ちてしまうだろう。もちろん、当時はこの灯台を鉄で作るべき理由があったに違いない。僕の想像力の限界の外に、この灯台は建っている。
 でももし、この灯台がレンガやコンクリートでできていたら、きっと砲台のように、移設されずに和田岬に残されたのではないだろうかとも思う。一定以上の大きさをもつ港湾遺構の多くが、移設されずにその場にとどまっていることを考えれば、その想像に間違いはない気がする。和田岬灯台は、鉄製だったからこそ、移設できたのだろう。それは、僕のような気楽な見学者にとってはありがたいことだ。
 

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 松林に囲まれ、砂浜の奥にひっそりと眠る灯台は、その鮮やかな緋色にもかかわらず、寂しそうに見える。まだ元気なのにやむなく隠居した老人が、終の住まいで拗ねているかのようだ。灯火の部分は、おそらく元々はそちらが海の方を向いていたと思われる窓が反面に切られていて、それが海に対して真横になって西を睨んでいる。それが、意にそまぬ廃灯と移設のためにへそを曲げているようかのようだ。「こんなことをするなら、もう役には立ってやらん」と灯台の憤り混じりの嘆息が聞こえてくる気がする。
 僕は今津灯台を思い出す。小さくとも、時代と対峙し今もなお現役の灯台として海を照らし続ける今津灯台。あの木製灯台に比べれば、和田岬灯台は近代的で巨大だ。移設はやむを得ないとしても、なんとか現役の灯台として光を海に投げ続ける保存方法はなかったのだろうか。内部のフレネルレンズはまだ残っているようである。光を宿してこそ灯台灯台には、灯台らしい余生を送らせてやりたい。もっとも、これはすべて、僕の感傷的な願望にすぎないけど。
 

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 和田岬灯台自身は、本当はどう思っているだろう。風の中にまどろむ灯台は、黙して語らない。